夏目漱石「とかくこの世は住みにくい」

夏目漱石『草枕』の
冒頭のとても有名な一節。

山路(やまみち)を登りながら、
こう考えた。
智(ち)に働けば角(かど)が立つ。
情に棹(さお)させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。

この一節に、私は隠遁の思想と
同じものを感じました。
しかしながら、漱石は、
山水へと向かうのではなく、
次のくだりへと展開していきます。

住みにくさが高(こう)じると、
安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、
詩が生れて、画(え)が出来る。
・・・
ただの人が作った人の世が
住みにくいからとて、
越す国はあるまい。
・・・
越す事のならぬ世が住みにくければ、
住みにくい所をどれほどか、
寛容(くつろ)げて、
束(つか)の間の命を、
束の間でも住みよくせねばならぬ。
ここに詩人という天職が出来て、
ここに画家という使命が降(くだ)る。
あらゆる芸術の士は
人の世を長閑(のどか)にし、
人の心を豊かにするが故(ゆえ)に
尊(たっ)とい。

中国の隠遁思想のように、
人里離れて山水に住むのは、
あまりに過酷です。
誰にでもできるというものではありません。
良寛は、その道にだいぶ近づいていると
思いますが。
漱石は芸術(文芸といった方がいいで
しょうか)の道を選びました。
漱石も良寛も、
人生に真剣に向き合っています。

良寛さんを知りたくて

良寛さんの詩
「世の中に 交らぬとは あらねども
ひとり遊びぞ 我はまされる」

若いころ、この詩にすごく共感しました。
良寛ってどんな人だろうと思って、
良寛の生れた新潟県出雲崎にも
行きましたし、
国上山麓の五合庵にも行きました。
そして、良寛が若いころ修行したお寺とは
どんなところだったのか、
岡山県の玉島円通寺にも、
地図を頼りに行ってみました。

私もあまり世の中を器用に渡っていくのが
得意な方ではなく、
中学・高校の頃は、
お寺に入りたいとさえ
思ったこともありました。
でも、当時思ったんですよね。
お寺に入り、僧になったらなったで、
そこにはそこの厳しい決まりがあり、
上下の序列がある。
本当に何も縛られないで生きるためには、
独りで自活してやっていくしかないと・・・
人々を救いたいという崇高な決意があれば
良いのでしょうが、
私はそんな強い人間ではありませんでした。

なので、良寛さんの生き方は
心の支えになりました。
そういう生き方もあるんだと。

ただ思うのは、
あんな温暖な瀬戸内のお寺で
修行していながら、
冬の寒さが厳しいと分かっている
故郷に戻ったのには、
それなりの覚悟が必要だったということ。
ただ逃げていただけではないということ。

良寛さんをめぐる話のなかで、
良寛さんが生きていくのに当たっての
心の折り合いの付け方に
すごく引き付けられました。

五合庵

良寛の詩

水上 勉さんの「良寛」から。
良寛のうたった詩の現代語訳です。

独りで生れ
独りで死に
独りで坐り
独りで思う
そもそもの始まり、それは知られぬ
そもそもの終わり、それも知られぬ
この今とは何か それもまた知られぬもの
展転するものすべて空である
空の流れの中に しばらく我がいるのだ
だから是もなければ非もないはず
そんなふうに わしは悟って
こころゆったりと
時のすぎるのにまかせておる
静かな夜の窓の下で
衣をととのえて坐禅を組んでいる
臍と鼻の穴をまっすぐにおくと
耳が肩まで垂れてくるではないか
窓が白くなった 月が出たのだ
しずくがひとつひとつ落ちる音がする
雨もやんだ
このひとときのこころもち
ああ たださびしさがあるだけだ
ほかのものはなにもありはしない

水上勉さんはこの詩に対し
「うつくしい詩だと思う。
孤高の境地が伝わってくる。」と。

私もうつくしい詩だと思います。
静けさが伝わってきます。

良寛の気構え

「死ぬ時節には、死ぬがよく候」

五合庵の冬は辛く、長かったと思います。
吹雪が続けば托鉢にもでられず、
食べる物もなくなって
餓死を覚悟した夜も
あったのかもしれません。

変人、怠け者、愚鈍ともいわれる良寛。
でも良寛が自ら選んだ生活スタイルは、
やはり命がけの業だったのだと思います。

この「死ねるときに死ぬ」
という考え方が私は好きです。
世の中を悲観して、自ら命を絶たなくても
どうせ死ねるときはくるんだから・・・
なら、それまでは生きててみようか・・と。

みんな必ず死ぬときがきます。
自分の意思にかかわらず、
死ななければならないとき。

それまではこの世の中を
生きてみるものいいかもしれません。

無所有の豊かさの裏に

乞食こそ、禅仏法の至上の生活。
良寛は冬が長く厳しい五合庵で
20年も暮らしたといいます。
良寛が持っている無所有の豊かさ。

そして、その豊かさの裏にある
飢餓や野垂れ死にの恐怖。
良寛はそれをも受け入れていたようです。

「なるがままに」「しかたがない」
という生き方は、
本当にダメな生き方でしょうか。
あきらめとはまた違う覚悟が
そこにはあります。
寒さやひもじさ、
そして孤独との戦い。

托鉢といえば聞こえはいいでしょうが、
人に乞うて暮らすということ。
そんな不確かなものによって
日々を暮らすなんて
普通の人にはできません。

しかも良寛は、
この生活を自分で選んでいるのです。

長岡藩主がわざわざ五合庵を訪ね、
寺を用意するから長岡へ来てくれないか、
と良寛を招聘したといいます。
良寛はそれを断りました。

そのときの断りの句
「焚くほどは 風がもてくる 落ち葉かな」

覚悟を感じます。