老荘の道に暮らす ~隠遁者の心のよりどころ

「老子」では、
宇宙根元の絶対の「道」を唱えています。

人々は知巧を捨て、無為自然、
無欲に徹することが必要であり、
そのときはじめて
「道」を会得できるといいます。
欲を捨て、人と争わぬことが
大切であると言っています。
この主張に従うのであれば、
道を志す人は皆、「隠」へ向かいます。

真の隠遁者とは、その真情や名前などは
世の中に知られることはなかったが、
その志は青雲の高きをしのぐほどであり、
人を怨むような行動はとらなかった。
~ 真の隠遁者とは「道」を会得した人。

「荘子」のいう生き方は、
草木の生えている岸辺や
人気のないところに住んで、
魚釣りを楽しむ生き方。
仕官など念頭になく、
「無為」に徹する生活。

山林や丘山の美しい風景は、
そこに住む人々を楽しませます。
そこは、世の煩わしさを避け、
静かに自由な生活が送れるところ。

仕官を離れた隠遁者の生活は
かなり厳しいものでしたが、
「荘子」のこうした自然観が、
自分たちは、あこがれの老荘の道の
世界に暮らしているのだと、
隠遁者の心のよりどころと
なったそうです。

老荘の思想により、
「山水」はもはや
苦難を伴う「山水」ではなく、
仁者、知者が楽しむべき「山水」であると
考えられるようになりました。

「山水に遊ぶ」ことの最も大きな理由は、
老荘の道を会得するため。
「山水」は、老荘の主張する
「自然」のままである場所であり、
そこには「道」が存在すると
考えられていました。