良寛さんを知りたくて

良寛さんの詩
「世の中に 交らぬとは あらねども
ひとり遊びぞ 我はまされる」

若いころ、この詩にすごく共感しました。
良寛ってどんな人だろうと思って、
良寛の生れた新潟県出雲崎にも
行きましたし、
国上山麓の五合庵にも行きました。
そして、良寛が若いころ修行したお寺とは
どんなところだったのか、
岡山県の玉島円通寺にも、
地図を頼りに行ってみました。

私もあまり世の中を器用に渡っていくのが
得意な方ではなく、
中学・高校の頃は、
お寺に入りたいとさえ
思ったこともありました。
でも、当時思ったんですよね。
お寺に入り、僧になったらなったで、
そこにはそこの厳しい決まりがあり、
上下の序列がある。
本当に何も縛られないで生きるためには、
独りで自活してやっていくしかないと・・・
人々を救いたいという崇高な決意があれば
良いのでしょうが、
私はそんな強い人間ではありませんでした。

なので、良寛さんの生き方は
心の支えになりました。
そういう生き方もあるんだと。

ただ思うのは、
あんな温暖な瀬戸内のお寺で
修行していながら、
冬の寒さが厳しいと分かっている
故郷に戻ったのには、
それなりの覚悟が必要だったということ。
ただ逃げていただけではないということ。

良寛さんをめぐる話のなかで、
良寛さんが生きていくのに当たっての
心の折り合いの付け方に
すごく引き付けられました。

五合庵

隠遁と晴耕雨読

「隠遁」とは、隠れ逃れる、
すなわち、俗世を捨てて隠れ住む
ということです。

組織の管理体制や都会での生活は窮屈。
世を器用に渡っていくのも苦手。
そしてまた、人の年齢や時間には
限りがあります。

自分はこのままでいいのか、
こんな生活をしていていいのか、
失うものの方が多いのではないか。
自分には他にもっと違う生き方が
あるのではないか・・・

真の生き方や自由な生活を求めて、
組織や都会の雑踏から離れ、
山や海など自然の豊かなところに
移住する。
そして、自然の中で農作業を営み、
工芸・美術品をつくって、
読書し、音楽や芸術を友とする。

「晴耕雨読」もそんな形のひとつ。
いい言葉の響きです。
そんな生き方、私も憧れます。

そんな生き方のパイオニアが、
老荘からくる隠遁の考え方。
大昔から同じような道を
選んだ人はたくさんいて、
そこから多くの文学や芸術が
生まれてきました。

老荘の考え方に興味をもちました。