山水詩人とも呼ばれる謝霊運。
自然を美の対象とし、
山水の中には「美」があると
宣言しました。
情の賞するところを用(も)って美と為す
事は昧(くら)くして竟(つい)に誰か弁ぜん
此れを観て物慮を遺(わす)れ
一たび悟って遺(こころや)る所を得たり
<意味するところ>
自然を観賞する心を以って、
美という価値が生じる
その境地は人々にはわからない道理で、
明らかにしようもない
眼前の風景をみていると
世俗のことなどは忘れてしまう
自然山水をみていると
物我山水の境地になり、
是非善悪の対立概念も超越してしまう
山水それ自体には、
美であるとかないとか
価値判断される要素を
特別に含んでいるものではありません。
山水は、観賞する心があって、
はじめて「美」と感じることができるもの。
山水の中には「美」があるという自覚。
そのためには「賞」する心が
なければいけない。
この自覚が、謝霊運の「美」の哲学。
それまで山水は、とりあげられても
脇役であり、主役ではありませんでした。
それが、山水そのものが題材となり、
山水を美の対象として
扱うようになりました。
これは謝霊運がもたらした
大きな自然観の変革でした。
<参考>
謝霊運は、中国 南朝宋の詩人。
名門貴族の出で、
聡明で様々な才能に恵まれましたが
性格は傲慢で、
仕官では思い通りにいかないことが
多かったといいます。
左遷された謝霊運は、
自然の美に傷心をいやし、
山水の美を詩の中に表現しました。
仏教を厚く信じたといいますが、
傲慢な性格から反逆を疑われ、
最後には処刑されたそうです。