山水詩人の謝霊運 ~鑑賞する心で美を感じる

山水詩人とも呼ばれる謝霊運。
自然を美の対象とし、
山水の中には「美」があると
宣言しました。

情の賞するところを用(も)って美と為す
事は昧(くら)くして竟(つい)に誰か弁ぜん
此れを観て物慮を遺(わす)れ
一たび悟って遺(こころや)る所を得たり

<意味するところ>
 自然を観賞する心を以って、
 美という価値が生じる
 その境地は人々にはわからない道理で、
 明らかにしようもない
 眼前の風景をみていると
 世俗のことなどは忘れてしまう
 自然山水をみていると
 物我山水の境地になり、
 是非善悪の対立概念も超越してしまう

山水それ自体には、
美であるとかないとか
価値判断される要素を
特別に含んでいるものではありません。
山水は、観賞する心があって、
はじめて「美」と感じることができるもの。

山水の中には「美」があるという自覚。
そのためには「賞」する心が
なければいけない。
この自覚が、謝霊運の「美」の哲学。

それまで山水は、とりあげられても
脇役であり、主役ではありませんでした。
それが、山水そのものが題材となり、
山水を美の対象として
扱うようになりました。
これは謝霊運がもたらした
大きな自然観の変革でした。

<参考>
謝霊運は、中国 南朝宋の詩人。
名門貴族の出で、
聡明で様々な才能に恵まれましたが
性格は傲慢で、
仕官では思い通りにいかないことが
多かったといいます。
左遷された謝霊運は、
自然の美に傷心をいやし、
山水の美を詩の中に表現しました。
仏教を厚く信じたといいますが、
傲慢な性格から反逆を疑われ、
最後には処刑されたそうです。

山水への美意識の芽生え

老荘思想を背景にもつ隠遁思想が広がり、
人々は山水に隠遁、
あるいは それに憧れました。
その結果、山水にこそ「真」があり、
山水には「美」があると、
認識されることになりました。

すなわち、中国の美意識は、
隠遁の生活から得られ、
老荘思想の影響を大きく受けました。
これは五世紀頃のこと。
この自然観が、以降の中国にも
伝統として伝わっていきます。

一方、ヨーロッパでは、
キリスト教の影響から、
人間を 自然より上位なもの
とみなしていました。
ヨーロッパにももちろん
美しい山河はありましたが、
自然を美の対象とみたのは、
18世紀フランスの
ジャン・ジャック・ルソー
「自然に帰れ」。

日本は7~8世紀 万葉の歌人たちが、
自然の美しさと一体となって
それを表現しています。
この精神は以後も変わることなく
受け継がれていきました。
中国文学の影響もあったかもしれませんが、
なにより日本の美しい山河が、
日本人の感受性を
刺激したのかもしれません。

山水を美しいと感じる心・・・
国によって歴史もやはり違うんですね。

自然豊かな日本に生まれてきてよかった。
隠遁しなくても、自然が身近にあり、
隠者でなくても、美しさを感じる
ことができるのですから。

とはいえ 煩わしい世俗と離れて
自然の中で暮らす隠遁生活には憧れます。