自分の幸せを見極める ~ルーティーンとちょっとの贅沢

「FIRE」
(The Financial Independence,
Retire Early)
極度の倹約とシビアな投資により
若いうちに貯蓄して、
会社を早期リタイア、
働かないで自由な人生を生きること。

「FIRE」ムーブメントの始祖となった
ピーター・エイドニーは、
「幸せはさほど高価なものではない」
と語っています。

自分の生活の中で、
本当に必要なものを見極められれば、
あとは実行するだけ。

何が自分にとって幸せなんだろう・・・
考えますよね。
すでに大きな夢や目標に
向かっている人は
きっと幸せですよね。
でも、結局 私には、今まで
そういうものはできませんでした。

私の場合、今後の生活を考えると、
中途半端にお金があっても
お金の使い方は
変わらないんではないかと思います。
ついつい持ち前の
貧乏くささがでてしまい、
「今だ!贅沢するのは!」って
思っても
結局「もったいない」って
思ってしまって
思い切ってお金が使えない。

将来に渡っての安心が見込まれる
莫大なお金が目の前になければ、
きっと今後もそれは
変わらないでしょう。
育ちや性格というのは
そういうものですよね。
そんな私だからの幸せが
きっとあるんだと思います。

それなりの年齢になって、思います。
「ルーティーン的な生活が
私の心の安定」
そして、たまには
「少しの贅沢」をすること。
それが私の幸せ、かなと。

毎日を、季節ある1年を、
決まったルーティーンの中、
明るく暮らしていく。
繰り返しの日常では倹約を心掛け、
たまには、おいしいものを食べに行く。
そして、ときどきは遠くへ旅する・・・。
それがちょっとの贅沢。

有名になったり、成功をおさめたりする
何者にはなれなくても、
幸せだと感じられるようになれたら、
とてもステキなことですよね。

ルーティンのなかに自由はある

「最下鈍の者も
 十二年を経れば必ず一験を得ん」
天台宗開祖 最澄の言葉。

どんなに愚かで才能のない人間であっても、
一つのことを12年続けていれば、
必ず一つは秀でるものを掴むことができる。

これは最澄自身が比叡山で修行したときの
経験からでた言葉だそうです。

お寺での修行は、
朝の勤行、掃除などの作務、
毎日、同じことの繰り返し。
同じことを同じように繰り返す
規則正しい生活。

お釈迦さまも、
「同じことを同じように繰り返していると、
悟る可能性がある」
と言っているようです。

生活の喧騒から離れた
山のお寺にこもり、
厳しい規則の中、
悟りを目指して
自分を律しながら暮らしていく。
そうするといつのまにか心が平安になり、
心を穏やかに保つことができるようになる。
心にさざ波がたたなくなる。

「悟り」ってなんでしょう。

私みたいな凡人には
正直わかりません。
でも、以前、お寺の坐禅会に
参加していたころ、
お寺のご住職が言っていた言葉が
印象的でした。

「厳しい規則でがんじがらめの生活。
 でも、続けていると、
 その中に無限大の自由があるのが
 分かってくる・・・」

深いですね。
なんとなくですが
分かるような気がしました。

考えてみれば、
この地球上のものすべてが
同じことの繰り返し。
朝は東から陽が昇り、
夕方には西に沈む。
水は高いところから
低いとところへ流れる。
春夏秋冬があり、
季節も同じサイクルでまわる。
この世界自体は
ルーティンによって成り立っています。

でも、ルーティンの中には
無限大の自由があります。
考え方、感じ方は自由。
ルーティンの中でも、
自由や楽しみを掴み取ることができます。

悪いことや嫌なことが
起こらないのではなく、
何がおきてもいい側面を見つけられる。
自分はツイてる、幸せだと思える。

ルーティンの中には自由があるんです。