陶淵明(とうえんめい)は中国の詩人。
田園詩人とも隠遁詩人とも言われます。
陶淵明は一家を支えるために、
仕官せざるをえませんでした。
仕官は本意ではありませんでしたが、
暮らしの貧しさがそれを許しませんでした。
仕官と隠遁の間で心は揺れ動き、
いつも葛藤していました。
そしてとうとう41歳の時、
帰去来の辞を残して
一切の公職から去りました。
そして再び官職につくことはなく
田園に暮らしました。
陶淵明は、生まれつき山水が好きで、
世俗とは合わなかったといいます。
拘束されない自由の世界こそが
陶淵明の望むところでした。
陶淵明は隠者を理想としていました。
いくばくもない人生、
本心のおもむくままに・・・
自然の変化のままに身をゆだねて
人生の終末を待つ。
自然の変化にまかせて
世俗に染まらない人生を送りたい。
ただそれは、飢えと凍えとの
戦いでもあったでしょうが。
「菊を採る東籬の下」の詩は、
陶淵明が40歳代初めに
詠んだとものとされ、
田園を詠んだ詩として親しまれています。
以下はその抜粋。
菊を採る東の籬(まがき)の下(もと)
悠然(はる)かに南山を見る
山気は日夕(にっせき)に佳(よ)く
飛ぶ鳥は相い与(とも)に還る
此の中(うち)に真の意あり
弁ぜんと欲して己(すで)に言を忘る
<解釈>
菊の花を採ろうとして
ふとはるかかなたに南山が見える
山の気配は美しく
飛ぶ鳥は連れ立ってねぐらに帰っていく
これは毎日みている平凡な風景であるが
この風景の中にこそ
真実(老荘の「道」=自然)がある
それを説明しようと思うが
もうそのことは忘れてしまった
陶淵明は、日常ふれている風景の中に
真実なる「道」が
存在しているといいました。
私たちを取り巻く環境の自然の中にこそ
「真」があるという自然観は、
陶淵明にによって誕生したのだそうです。