五合庵での良寛の暮らし

生涯身を立つるに懶く
騰々として天真に任す
嚢中三升の米
炉辺一束の薪
誰か問わん迷悟の跡
何ぞ知らん名利の塵
夜雨草庵の裡
双脚等間に伸ばす

一生涯立身出世に努力するのもものうく
騰々として天然自然に
身も心もゆだねるばかり
米は三升もあればよく
炉辺には一束の薪があるだけ
迷った、悟ったの跡も目立たぬように
名利を求める気配は塵ほどもなくして
夜ひとり雨の音を聞きながら
両足を伸ばしている
(「太陽」94’での訳)

もっとくだけて解釈すると、

身を立てるために努力するのもめんどうで
覚悟して すべてを天に任せたい
袋に三升の米と
炉辺に一束の薪があれば十分
迷いや悟りがあったことは人に悟られず
名利への欲なんて微塵もなかったように
夜 草庵で のびのびと両足を伸ばし
雨の降る音を聞いている
ただ それがすべて

五合庵での良寛の暮らしが伝わってきます。

「誰か問わん迷悟の跡
 何ぞ知らん名利の塵」
というのが、人間臭くていいです。

良寛にも迷った時期があったんですね。
そうして
良寛の暮らしは悟った結果なんですね。

良寛~印可の偈

印可の偈(いんかのげ)

良寛庵主に付す
良や愚の如く 道転た寛し
騰々任運 誰を得て看しめん
為に付す 山形爛藤の杖
到る処 壁間午睡閑かなり
寛政二庚戌冬
水月老衲仙大忍(花押)

良寛よ、お前は馬鹿正直と
いっていいほどに真面目で
融通がきかない誠実な男だが、
その前に広がる道は広々と開けている。
のびのびと運を天に任せて生きることだ。
きっと誰かがいずれ分かってくれるだろう。
旅立ちの道連れにこの山形の杖をやろう。
それを枕にどこでも気に入ったところで
昼寝を楽しむことだ。
(「良寛の道」平沢一郎)

良寛はの岡山の円通寺で
国仙和尚のもと
12年ほど修行したといいます。
良寛のことをよく観て理解している
やさしい思いやりのある言葉だと思います。
さすが良寛の師ですね。

良寛と老荘思想

良寛は「荘子」を
手元に置いていたといいます。
良寛の詩には、
「荘子」「老子」の中からの
引用もかなりあります。

「老子」第8章に、
「最上の善は水のようなもので、
 万物に利益を与える。
 丸い器に入れば丸くなり、
 四角い器に入れれば四角となる。
 決して他と争うことを欲せず、
 誰もが嫌がる低い位置に
 常に身を置くことをいとわない。
 この水こそ上善で、
 道に近いものである。」
というような内容があります。
これを良寛は、「至善如水」の四文字で
表しています。

良寛の生涯は、
騰々と天に任せるものでした。
良寛が、老荘の思想に寄り添っていたのが
とても理解できます。
良寛の心の支えになっていたのだと
思います。

良寛が好きな人はきっと
老荘の考え方にも興味をもつはずです。
良寛と老荘の共通部分を見つけられます。

良寛は歌人 ~天上大風~

良寛は歌人でした。
俳句もつくったし、詩もつくりました。
村の子供たちと手毬をして遊んだり、
竹の子が床を破れば、
穴をあけて伸ばさせてやるなど、
奇行も多かったといいます。
優しい良寛様は、
子供用の童話にもなっています。

書の腕前も抜群だったそう。

「天上大風」

下から見ても分からないが、
天上では大風が吹いている。
大空を漂う凧はのんきそうであるが、
凧は天井の大風と闘いながら
大空に浮かんでいる。

まさに、良寛の生き様みたいですね。

昔、国上山ふもとのお土産物屋さんで、
良寛の書「天上大風」の
色紙を買いました。
切れのある書がいいなぁと思って。

隠遁と晴耕雨読

「隠遁」とは、隠れ逃れる、
すなわち、俗世を捨てて隠れ住む
ということです。

組織の管理体制や都会での生活は窮屈。
世を器用に渡っていくのも苦手。
そしてまた、人の年齢や時間には
限りがあります。

自分はこのままでいいのか、
こんな生活をしていていいのか、
失うものの方が多いのではないか。
自分には他にもっと違う生き方が
あるのではないか・・・

真の生き方や自由な生活を求めて、
組織や都会の雑踏から離れ、
山や海など自然の豊かなところに
移住する。
そして、自然の中で農作業を営み、
工芸・美術品をつくって、
読書し、音楽や芸術を友とする。

「晴耕雨読」もそんな形のひとつ。
いい言葉の響きです。
そんな生き方、私も憧れます。

そんな生き方のパイオニアが、
老荘からくる隠遁の考え方。
大昔から同じような道を
選んだ人はたくさんいて、
そこから多くの文学や芸術が
生まれてきました。

老荘の考え方に興味をもちました。