好きなことを意識して暮らすと、より幸せになる

「あなたの好きなことはなんですか?」

「好きなことがたくさんあるということは、
 人生を楽しくする。」

「生きてる意味」なんて難しいことは、
考えても 
そうそうわかるもんじゃありません。
でも、「好きなことはなに?」
って聞かれれば、たいていの人は
少しは答えられるんじゃないでしょうか。

私は、旅が好き。
カフェでまったりが好き。
小鳥が好き。
寝るのが好き。
ひなたぼっこが好き・・・

あんまりないという人でも、
辛いカレーが好き。
やっぱり焼肉。
チョコレートが好き 等々
食べ物まで入れたら、
それなりにたくさん
好きな物をあげることが
できるんじゃないでしょうか。

好きなことがたくさんあることは
ステキなことです。
それをするたびに、楽しくなります。
食べ物ならそれを食べるたびに
うれしくなります。
満足感が得られます。

好きなことを意識するということは
とっても大事なことです。
好きなことと認識していることが
たくさん実行できると、
人生充実しているような気持ちになれます。
錯覚でも十分。
錯覚が現実か、真実が現実か、
それは重要じゃない。
私には、今が楽しいことが
とても大切です。

遊戯三昧 ~することを楽しむ

「遊戯三昧(ゆげざんまい)」。
元プロテニスプレーヤーの杉山愛さんが
以前、テレビ番組で言っていました。
杉山愛さんの座右の銘だそうです。

「なぜ辛い外国遠征をがんばれるか」
と聞かれたときの答えでした。

「楽しいことをする」という意味ではなく、
「することを楽しむ」っていう意味だそう。

「することを楽しむ」ということは、
「遊び」と思って、
そのときその場で行うことに、
最大限の力を投入して楽しむということ。
やらなければならないことを、
どれだけ遊びとして楽しめるかが勝負。

今やってる仕事を
そのとき最大限に楽しむ。
楽しめたなら、
結果はどうでもいいやと考える。

だから辛い海外遠征も
耐えられるんだそうです。

う~ん、やっぱりすごい。
とってもポジティブ。

映画「あん」 ~この世を見るために聞くために

映画「あん」をDVDで見ました。

ハンセン病(らい病)だった徳江の言葉
「私たちは、この世を見るために、
聞くために、生れてきた。
この世はただそれだけを望んでいた。
・・・だとすれば、何かになれなくても、
私たちには生きる意味があるのよ。」

本来は、ハンセン病に対する
過去の悲劇を表現した言葉なのだと思います。
でもごめんなさい。
それは少し横におかせてください。

この言葉を聞いて、
ああ、ただ生きてるだけでいいんだ、
となんだかホッとするような感じを
受けたのは、私だけでしょうか。

この世界はすばらしい。
その世界を見るために、聞くためだけに、
生れてきた。
この世界を見ること、聞くこと、
それが十分生きる意味になる・・・
すてきな言葉だと思いました。

「人の役に立つことが、生きる意味
なんだろうか」との問いから、
この作品が生まれたといいます。

ちょっぴり悲しいけど、
ほっこりするいい作品でした。

<あらすじ>
千太郎(永瀬正敏)は、どら焼き屋の雇われ店長として単調な日々をこなしていた。そこで働くことを懇願する手の不自由な老女の徳江(樹木希林)に、どらやきの粒あん作りを任せることに。徳江の作った粒あんはあまりに美味しく、店は繁盛。しかし、徳江がかつてハンセン病であったとの噂を聞きつけ、客足はピタリと途絶え、それを察した徳江は店を辞めた。千太郎はハンセン病感染者を隔離する施設に徳江を訪ねる。 ・・・

孤独だから寂しいのではない、寂しいって複雑

だいぶ昔のOZという雑誌に、
寂しさについて、
次のようなことが書かれていました。

寂しいって、
自分が孤立していたり、
孤独なときに感じること。

でも、寂しい気持ちは、
ひとりでいるときだけでなく
人といるときにも感じるもの。

寂しい気持ちは
ひとりだからというより、
やるべきことがみつからない、
あるいは、やるべきことができていない
というときに感じることが多いようです。
・・・

確かにそのとおりかも、と思いました。
ひとりでも生活が充実していれば、
寂しさを感じるヒマなんて
ないのかもしれません。

ふたりだから、思い通りに進まない
こともあるかもしれません。

私のことで考えてみても、
孤独なのはいつものこと。
人といると
いつのまにか気を遣って疲れるので、
人とはなるべく
距離を置くようにしています。
私は孤独が嫌いではありません。
それでも
寂しいと感じるときがあります。

でも、不思議なことに、
寂しいって感じるときも、
人に近づきたくなるわけではありません。
人と会えば、
確かにその場の寂しさは
まぎれるのでしょうが。

私の場合、寂しいと感じるときは、
何かやりたいと思っても
それが見つからないとき、
やらなければいけないことがあるのに
それができていないとき、など。
とにかく、
自分の思いどおりにいっていないとき
が多い気がします。

心に隙間があると、
そこに寂しさが入り込んでくる。

大勢の中にいてもひとり。
ふたりでいても寂しい。

ヒトの気持ちは複雑ですね。

探しものはすぐそこにある

「探すのはやめなさい
それはすぐそこにある」

これも昔のメモから。
多分本屋さんで見た言葉。
言葉だけが残っているので、
私の解釈。

私はこんなはずじゃない。
私には何かあるはずだ。
これではない、あれでもない。
他にきっとあるはずだ・・・

探して、探して、
いつも何かを探している。
遠くを、遠くを、探し続ける。
新しい何かを、探し続ける。
本当はすぐ近くにあるのに、
気が付けない。
もう手の中にあるかもしれないのに
わからない。

探している間は、何も始まらない。
満足することもない。

本当に好きなことをちゃんと見て
本当にやりたいことを見つけましょう。
それはたいがい、すぐ近くにあります。
気が付いてないだけ。
いや、気が付いているのに、
向き合いたくないだけなのかも。