老子の「大道廃有仁義」
大道(たいどう)廃れて、仁義有り。
智慧(ちえ)出でて、大偽有り。
六親(りくしん)和せずして、孝慈有り。
国家昏乱して、忠臣有り。
<訳>
大いなる道(無為自然)が廃れたので、
仁義(人為的な道徳)の概念が生まれた。
知恵を持った者(儒者)が現れたので、
人的な秩序や制度が生まれた。
親兄弟や夫婦の仲が悪くなると、
孝行者が目立つようになる。
国家が乱れてくると、
忠臣の存在が目立つようになる。
仁義や慈愛、忠義や孝行といったものは、
わざわざ他人から押し付けられなくても
自分の中から
自然に湧き上がってくるはず。
わざわざ強調しなければいけないのは、
本来、人の心に備わっているはずの
「道」がなくなってしまった証拠。
この生き方が廃れてしまったからこそ
人為的な仁義や慈愛、忠義や孝行が
説かれるようになってしまった。
老子の思想は「無為自然」。
あるがままにまかせることが理想。
老子は道が失われつつある世の中を
嘆いていたにちがいありません。
制度ができ、秩序が作られ、
道徳が説かれ、
人の世は堅苦しく、
窮屈になってしまいました。
法律・規則・道徳を意識しなくても
穏やかに暮らしていけたら、
それこそ理想ですね。
でも悲しいかな、
それがないと、
民衆はどこに向かってよいのか
分からなくなってしまうもの。
集団のなかで生きていく限り、
無為自然を実践するのは難しい。
だからこそ、
街を離れ、山の中にこもる。
道を実践する隠遁者が
山水に遊ぶ理由でもあります。