なんとなく幸せ

なんだか最近
なんとなく幸せな感じがします。
なんとかなる・・
きっとこの先もどうにかなる・・

なんの根拠もありませんが。

なぜか不思議。
ボーっとしているときに、
ふっと頭をよぎるのは、
なんとなく幸せなこの感じ。

いったい私はいつから
こんな楽天的になれたのか。
どちらかというと
後ろ向きで悲観的な性格なのに。

で、そうなれた原因を
思い起こしてみたんですが、
あるとしたら、これしかないかなと。

それは、言霊(ことだま)。
つまりは、
ポジティブ言葉による自己暗示。

始めてからもう10年以上になります。
毎日いろんなことに対して、
「ありがとう。ありがとう。大好き。」
を声に出して繰り返し言っています。
もちろん今でも。
誰にも聞かれないように。
ひとり言のように。

なんで生まれてきたんだろ・・
なんにもいいことがない・・
そんな悲観的な私が、
いつのまにか
ふんわりとした楽天的に。

なんとなく幸せ、
と感じることの他にも、
実感していることがあります。

嫌なことや不幸なことがあっても、
その中から何かしらいいことを見つけて、
結局、よかったこととして
捉えられるようになりました。
探しているわけではないのに
自然にそう考えられる。

ホント不思議です。
たぶん人間の心理はそんなもの。
繰り返して唱える言葉が
結局自分自身への暗示になって
いつのまにか少しずつ変わっていく。
そしていつか
自分が変わったことを強く実感する。

人って変われるんですね。
人間の気持ちってホント不思議です。

PS:もちろん今でも暗くなることは
あります。もともとは後ろ向きの
性格ですから根本は治らない(笑)。

玉村さんの農作業3段論法

玉村豊男さんは、旅、料理、食文化、
田舎暮らし、ライフスタイルなどの
エッセイイスト。
絵画にもファンが多く、
現在は長野県東御市に移住し、
「ヴィラデスト ガーデンファーム
アンド ワイナリー」を経営。
非常に多彩な才能の持ち主です。

「今日よりよい明日はない」で、
農作業の楽しみを語られています。

 農作業はどこまでいってもキリがない。
 でも暗くなればおしまい。
 ああ、今日もよく働いた。
 でも、まだ仕事は残っている。
 さあ、明日もがんばろう。
 これが農業の3段論法です。

 いくらやっても終わらない。
 だから明日につながるのです。
 シャワーを浴びて、
 新しいシャツに着替え、
 よく冷えた白ワインを一杯。
 ともかくなんとも幸せな時間です。
 俺はこの瞬間のために
 生きているのかと思う。
 それから料理を作って食べる。
 おなかが空いているから
 なんでもおいしい。
 風呂に入ってから、うまい飯を食い、
 あとはバタンキューと寝る。
 フロ、メシ、ネルの快感は
 なにものにも代えることができません。
 そうやって人は
 小さないやしに元気をもらうことで、
 今日一日の疲れを回復し、
 さあ、明日がんばるぞ、という
 生きる意欲が湧いてくるのです。

農作業ってそういうものか、
農業もいいなぁ、と思いました。
とても好きな語りです。

私は田舎で育ったので、
どちらかというと農作業に
いいイメージはありませんでした。
実家は農家ではありませんでしたが、
農業のイメージといえば、
重労働、休みがない、低収入。
草採りには終わりがありませんし。

でも玉村さんのこの文章を読んで、
農業という仕事への見方が変わりました。
「いくらやっても終わらない。
 だから明日につながるのです。」
明日ばかりみている人には
理解できない考え方です。
これもひとつのシンプルの形。

前向きに明るく取り組む。
シンプル生活は、そういうところから
生まれてくるんですね。

掃除するときには隅の方にゴミを残せ

「掃除するときには隅のほうにゴミを残せ」

これも玉村豊男さんの
「今日よりよい明日はない」からの
明日を生きるための言葉。

本の中から。
 暮らすということは、
 一日を過ごす、という意味です。
 暮れるものを、ただ暮れるにまかせる。
 とにかく一日を持続する。
 今日やるべきことをしっかりやり、
 その日一日のわずかな達成に満足し、
 小さないやしに心を慰めて、
 明日に残った仕事を考える。
 人生とはそうして与えられた時間を
 死ぬまで過ごすことかもしれないと
 漠然とだが、
 考えるようになってきている・・・

今日やってしまわないで、
明日につなぐことも
大事なんだなって思います。

今日は今日でしっかりやって、
でもやりすぎない。
明日やることを残して
明日を生きる糧とする・・・

すごく納得しました。

ローラの大草原の小さな家の暮らし

だいぶ昔 NHKでやっていた
「大草原の小さな家」。
開拓者一家の生活の記録を
ローラ・インガルス・ワイルダーが
物語にしたものです。

ローラたちの生活は、基本自給自足。
何もないところに自分たちで家を建て、
大地を耕して作物を育て、
限られた食糧をやりくりして
家族の喜ぶ食事を作りました。
電気も水道もないなか、
家事はどれも一日仕事。
洗濯、針仕事、掃除、パン焼き、
保存食づくりなど、
曜日を決めてこなしました。

生活はもちろんたいへんだったでしょうが、
足りないものは工夫で補い、
母さんは、楽しみながら家事を行いました。

家事はいつ頃から わずらわしいものに
なってしまったのでしょうか。

家事はいつの時代もめんどうです。
でも、家事を嫌なことととらえると、
ホントに何のために生きているのか
わかりませんよね。
生活していくことそのもののが
生きることの意味。
与えられた環境のなか
喜びを見つけ、
日々楽しく生きていかないと。

今は、便利になり、
自由な時間がたくさんでき、
楽しいものがたくさんあります。
一方で幸せ。一方で不幸なのかも。

でも、選択する自由はあります。
何を楽しみとするかは
自分で選べるんですよね。

思い通りに生きる~ターシャ・テューダーの生き方

ターシャ・テューダーは
アメリカの代表的な絵本作家。
57歳のとき
バーモント州の小さな町のはずれに
広大な土地を手に入れ、
自給自足の一人暮らしを始めました。

ターシャも
ソローのウォールデン湖のほとりでの
自給自足の暮らしに
大きく影響を受けていたそう。
それを実践して貫いたのがステキです。

ターシャは、バーモントで
一日の大半を草花の手入れに費やし、
昔ながらのスローライフな生活を
楽しみました。

コーギー犬が良きパートナーで、
他にもニワトリなどの動物たちも一緒でした。
そのため、家と庭の一帯は
「コーギー・コテージ」と呼ばれました。

暖炉とベッドとロッキングチェアー、
電気などは最小限にして、
薪オーブンを備え、
古い道具を使う
昔ながらの生活を実践しました。

料理も大の得意。
山羊の乳を搾ってバターを作り、
庭でとれた果実でジャムを作ったり、
パイやクッキーを焼いたりしました。
料理の秘訣は「近道を探さないこと」。

夕方4時半頃、庭先のポーチで
お茶を飲むのが日課だったそう。

昔ながらのドレスやエプロンを
手作りしたり、
人形を作ったり、
周りの草花や動物達を
スケッチしたりもしました。

やりたいことだけをやる生活。
毎日わくわくする生活。
憧れを57歳から実践して
叶えてしまうなんて、
まだまだ夢をあきらめてしまうには
早いのかもしれません。