李白も隠遁「山中問答」

李白は中国が生んだ偉大な詩人。
官職を望みながら
生涯をとおして官職につくことはなく
放浪に明け暮れた人生を送りました。

若い頃、隠者と一緒に山水に隠棲して
道士の修行をした時期があり、
人生の多くの時間を旅に費やしました。

李白の作風は、リズミカルで天真爛漫。
李白は陶淵明の影響を色濃く受けました。
陶淵明は道士としての先輩。

李白「山中問答」

余に問う 何の意ぞ 碧山に栖(す)むと
笑って答えず 心自(おのず)から閑なり
桃花 流水窅然(ようぜん)として去る
別に天地の人間(じんかん)に非ざる有り

人は聞く どんなつもりで
みどり深い山奥に棲んでいるのかと
だが私は笑って答えない
心はどこまでものどかである
桃の花びらが流れる水に落ちて
どこまでも流れていく
ここは俗人の世界ではない
別天地なのだ

美しい山水の中、
凛とした意志を感じます。

田園を愛した陶淵明は隠遁詩人 

陶淵明(とうえんめい)は中国の詩人。
田園詩人とも隠遁詩人とも言われます。

陶淵明は一家を支えるために、
仕官せざるをえませんでした。
仕官は本意ではありませんでしたが、
暮らしの貧しさがそれを許しませんでした。
仕官と隠遁の間で心は揺れ動き、
いつも葛藤していました。
そしてとうとう41歳の時、
帰去来の辞を残して
一切の公職から去りました。
そして再び官職につくことはなく
田園に暮らしました。

陶淵明は、生まれつき山水が好きで、
世俗とは合わなかったといいます。
拘束されない自由の世界こそが
陶淵明の望むところでした。
陶淵明は隠者を理想としていました。
いくばくもない人生、
本心のおもむくままに・・・

自然の変化のままに身をゆだねて
人生の終末を待つ。
自然の変化にまかせて
世俗に染まらない人生を送りたい。
ただそれは、飢えと凍えとの
戦いでもあったでしょうが。

「菊を採る東籬の下」の詩は、
陶淵明が40歳代初めに
詠んだとものとされ、
田園を詠んだ詩として親しまれています。
以下はその抜粋。

菊を採る東の籬(まがき)の下(もと)
悠然(はる)かに南山を見る
山気は日夕(にっせき)に佳(よ)く
飛ぶ鳥は相い与(とも)に還る
此の中(うち)に真の意あり
弁ぜんと欲して己(すで)に言を忘る

<解釈>
 菊の花を採ろうとして
 ふとはるかかなたに南山が見える
 山の気配は美しく
 飛ぶ鳥は連れ立ってねぐらに帰っていく
 これは毎日みている平凡な風景であるが
 この風景の中にこそ
 真実(老荘の「道」=自然)がある
 それを説明しようと思うが
 もうそのことは忘れてしまった

陶淵明は、日常ふれている風景の中に
真実なる「道」が
存在しているといいました。
私たちを取り巻く環境の自然の中にこそ
「真」があるという自然観は、
陶淵明にによって誕生したのだそうです。

山水詩人の謝霊運 ~鑑賞する心で美を感じる

山水詩人とも呼ばれる謝霊運。
自然を美の対象とし、
山水の中には「美」があると
宣言しました。

情の賞するところを用(も)って美と為す
事は昧(くら)くして竟(つい)に誰か弁ぜん
此れを観て物慮を遺(わす)れ
一たび悟って遺(こころや)る所を得たり

<意味するところ>
 自然を観賞する心を以って、
 美という価値が生じる
 その境地は人々にはわからない道理で、
 明らかにしようもない
 眼前の風景をみていると
 世俗のことなどは忘れてしまう
 自然山水をみていると
 物我山水の境地になり、
 是非善悪の対立概念も超越してしまう

山水それ自体には、
美であるとかないとか
価値判断される要素を
特別に含んでいるものではありません。
山水は、観賞する心があって、
はじめて「美」と感じることができるもの。

山水の中には「美」があるという自覚。
そのためには「賞」する心が
なければいけない。
この自覚が、謝霊運の「美」の哲学。

それまで山水は、とりあげられても
脇役であり、主役ではありませんでした。
それが、山水そのものが題材となり、
山水を美の対象として
扱うようになりました。
これは謝霊運がもたらした
大きな自然観の変革でした。

<参考>
謝霊運は、中国 南朝宋の詩人。
名門貴族の出で、
聡明で様々な才能に恵まれましたが
性格は傲慢で、
仕官では思い通りにいかないことが
多かったといいます。
左遷された謝霊運は、
自然の美に傷心をいやし、
山水の美を詩の中に表現しました。
仏教を厚く信じたといいますが、
傲慢な性格から反逆を疑われ、
最後には処刑されたそうです。

人生を楽しむのに運命なんて関係ない

新修中国詩人選集I(岩波書店)
「陶淵明 寒山」の中から。

後漢の張仲蔚は貧乏ずまいを愛し、
家のまわりには雑草が生い茂っていた。
この男はなぜひとりこうして
暮らさねばならなかったのか。
それは実に志を同じくする者の
まれなことによるのである。
彼はただひとりおのれの領分に安んじて
運命が開けるか開けぬかといったこととは
無関係なところに
人生の楽しみをおいて暮らしていた。

いいと思いませんか。
人生の楽しみは、
運命が開けるか開けないかになんて
関係ないところにあるって。
どんな運命が待っていようとも
自分は自分の人生を楽しむんだ、
っていう心意気が伝わってきます。

そんなことに
自分の楽しみは左右されない。
貧乏も気に入っている。
だから、何も怖いものはない・・・

運なんてどうでもいい。
運命なんて関係ない。
本当に、負け惜しみではなく
今の暮らしを真に愛していけたら。
それはとてもステキなことです。

みんなが幸せになれる理想郷って

昔読んだ 新修中国詩人選集I(岩波書店)
「陶淵明 寒山」の中から書き出した
以下のような メモが残っていました。

人々は草に花さきはじめると
気候が温和になって来たことをさとり、
木が枯れだすと
風が冷たくなってきたのだなと
気がつくのだった。
暦の記録などはなかったけれども
四季は自然に一年を完成する。
こころたのしくたっぷりとした
よろこびを味わい、
どんなことにも小ざかしい智恵などは
はたらかすことはいらない。
かれらは互いにはげましあって
農耕にはげみ、
日が沈めば何の気がねもなしに
休息をとるのだった。
桑や竹がたっぷりとした木陰をつくり、
豆や粟を季節季節に応じてうめる。
春蚕からはゆたかな糸がとれ、
秋のみのりにも
お上から税金を
とりたてられることはない。
草の生い茂った道が
はるかにかすんでゆきかい、
鶏や犬がのどかになきかわす。
台やたかつきのお供えものは
今も昔のしきたりに従い、
衣裳も新しい型のものはつくらない。
子供たちは気のむくままに
歩きながら歌をうたい、
ごましお頭の老人たちも
たのしげに好きな家を訪ねて歩く。

なんだか世界一幸せな国
ブータンのことを思い出しました。
経済的な豊かさではなく、
精神的な豊かさを重んじるブータン。
まず家族を大切にして、
食べられて、寝るところがあって、
着るものがある。
それだけで満ち足りていて
幸福だと思える。

上述した2つの世界は
本当にすばらしい世界です。
それこそが理想郷です。
本当の幸せってそういうものに
違いありません。

でも、現実の世界には
いろいろな人がいます。
もともと人間が大好きで、
人の輪のなかにいるのが苦にならない人。
一方で、私のように集団行動が苦手で
人といれば気を遣って疲れてしまうため、
ひとりでいることを好む人。

ブータンにも
協調性のない人は必ずいるはず。
そういう人はどうしているのでしょう。
もしかしたら、そんな人も
暖かく吸収してしまうくらい
思想や環境の大きな土台があるのかも
しれませんが。

それに、ふと、こうも思うのです。
個々の向上心、冒険心は
どこに向けたらいいのか・・・
邪魔にならないのか・・・

平和な世界には英雄はでてきません。
そもそも必要とされていないから。
変革が求められる時代には、
その時代時代に合った英雄がでてくる。
平和な時代には個が埋没する、
といってもいいかもしれません。

いろいろな人がいて、
そのすべての人が
幸せに感じることができる世界が
あればいいのに。

生きるのって難しい。