穏やかな毎日が続く贅沢

「穏やかな毎日が続く贅沢」

竹内まりやの「すてきなホリディ」
の歌詞の一節です。
車を運転しながら
ボーっと聞いているだけで、
この歌詞、いいなぁと耳に残りました。

改めて曲を最初から聞き直してみると、
その前には、
「・・・
大切なものはみんなそばにある
穏やかな毎日が続く贅沢
・・・」
と続いていました。

若い頃にはそう思えませんでしたが、
今は本当に共感できます。

大切なものはみんなそばにある
って気付ければ、
他を探す必要はありません。
満足して日々を過ごせます。
そんな穏やかな毎日が続いていくこと。
それは、なんて幸せなことか。
それこそ人生の贅沢。
ホントそうだなぁ・・って。

ちょっと前、BSで「竹内まりや」特集
「Music&Life ~40年をめぐる旅」
がありました。
ほとんど知っている曲で、
しみじみと聞かせてもらいました。

番組の中で、
旦那様である「山下達郎」が、
奥さんの「竹内まりや」の
40年間の活動について、
コメントしていました。

時代のトレンドに、
出来るだけ、媚びず、追随せず、
その先の普遍性を常に模索。
そして、その作品に通底しているのは、
人間存在に対する強い肯定感。

だから、きっとたくさんの人が、
「竹内まりや」の曲に共感できるんですね。
暖かいものが流れてる・・・

ヘルマン・ヘッセ「庭仕事の愉しみ」

「もし明日世界が滅びようとも
 私はなおリンゴの苗木を植えるだろう」
ヘルマン・ヘッセ
「庭仕事の愉しみ」から。

この本は、庭にまつわる
ヘッセの詩やエッセイ、作品を集めたもの。
ヘッセの自分の庭に対する強い思い入れが
伝わってきます。

ヘッセは20世紀前半の
ドイツを代表する文学者。

都会から離れた
眺望のよい田舎での暮らしを好み、
非常に多くの時間を
庭いじりに割いていました。

庭のない家に住み、
庭仕事ができないときは、
水彩画を自力で習得し、
植物を観察することで
庭仕事の代わりにしていたように
思います。

ヘッセは歳をとるとともに
眼の痛みがひどくなり、
長時間の読書や著述が
できなくなっていきました。
そんなときにも、庭仕事や焚き火は、
重要な気分転換の時間だったようです。
そしてそれは
瞑想や想像の世界に浸り込む
重要なひとときでもありました。

ヘッセも書いています。
「一区画の土地に責任をもつ」ことの
歓びと愉しみ。
花づくり、野菜づくり、
草むしり、焚き火などの庭仕事。
眼の痛みや疲れをいやしたり、
文筆の仕事や
日常生活の雑事からの解放感、
思索と新たな創造を生む
素晴らしい瞑想のひととき。

花は毎年、自然に花を咲かせます。
それは太古の昔から繰り返されていること。
栄枯盛衰のある人間界とは
関係のない秩序が存在します。
庭仕事をして、
自然との交わり合いの中に
身をおくことは、
大きな秩序の中で
絶対的な平安を得ること。

それが、冒頭の言葉
「もし明日世界が滅びようとも
私はなおリンゴの苗木を植えるだろう」
につながっていく。

やっぱり ルーティンって大事。
また実感。

Take Joy ! 目をこらせば、きっと宝物がみつかる

「Take Joy !
すぐ近くにある喜びを見逃さないで。
森の暮らし・・
目をこらせば、きっと宝物がみつかる」

前にやっていたNHKの番組
「ターシャ・テューダーの森から」

ターシャ・テューダーは
アメリカの代表的な絵本作家。
57歳からバーモント州ブラトルボロで、
自給自足の一人暮らしを始めました。
一人暮らしとはいえ、
長男セスが近くでターシャを助け、
コーギーコテージも建ててくれました。

ターシャは2008年亡くなりましたが、
ターシャの生活した
コーギーコテージとその庭は、
長男セスの孫、
ウィンズロー・テューダーが
世話しているそうです。

ウィンズローの嫁、エイミーが
番組の中で言ってました。

「遊びは子供にとってだけでなく、
誰にとっても重要だと教えられます。
一見無駄に思えることでも
心から楽しむことが
私を私らしく保ち
毎日を輝かせてくれる。

私はエリーとケイティに(ひ孫)
ありのままの自分を
失ってほしくはありません。
40歳になって
自分探しをしなくていいように
自分が好きなものに目をつぶらず
いつも自分らしくいて欲しい。
常に自分に正直だった
ターシャのように。」

40歳になって
自分探しをしなくていいように
自分が好きなものに目をつぶらず
・・というのがいいですね。

自分のしたいことは何か・・
自分は何が好きなのか・・
何をしたら楽しいか・・
どうせ無理だって
あきらめてはいないか・・

私も自分の好きなものから
逃げないようにしないと・・

森の中にはハートがいっぱい

何年か前、森の中をゆっくり歩きたくて、
清里の清泉寮に行きました。
山歩きではない森歩き、と言ったら
清泉寮の遊歩道がぴったりかなと。

まずは「山梨県立八ヶ岳自然ふれあい
センター」に行って、
散策路の地図を手に入れました。

八ヶ岳自然ふれあいセンターは、
森の入口にあります。
標高1400mの清里高原の自然について、
最新の森の情報やハイキングコースなど、
森歩き情報がいっぱい。
そして、楽しく遊びながら学べる
展示がたくさんあります。

森に興味をもってもらえるような、
森に一歩踏み出したくなるような、
そんな「森の入口」になりたい・・・

本当にそんな言葉どおり、
私はここでとっても刺激を受けました。
特に、入口に貼ってあった
「清里の森の中には
ハートがいっぱい」を見て、
ハートを探して歩くのも
いいかもしれないと思いました。

そうして次の日の朝7時、
よし、ハートを探してみよう!って
散歩を開始。
すぐにとってもびっくりしました。
なんとハート型の葉っぱの多いことか。

特にハート型の葉っぱのフチに
キラキラした水滴が
宝石のようについているのを
見つけたときには、
思わず宝物を見つけたような心持ち。
たぶん朝しか見れない朝露。
本当にきれいでした。
ハートを見つけて歩いていなければ、
見ることができなかった宝物。

ハートを見つけながら歩くことで
いろいろなものに目が留まり、
ただボーっと森を歩くだけのつもりが
宝探しのような森の散策になりました。

ボーっと歩いて
季節を感じるのもいいですが、
ハートを見つけながら
自然を感じるというのも、
いいものですね。

小さな奇跡を拾い集めながら暮らす

「小さな奇跡はいっぱいあるよ。
 毎日それを見つけていけば
 いいんだよ。」

以前 気に入って見ていたドラマ
「義母と娘のブルース」から。

小さな奇跡を拾い集めながら暮らす。
確かに、幸せってそういうものかも。

毎週放送しているときにも見ていましたし、
一挙再放送も録画して見てしまいました。
ドラマ自体とっても好きでした。
どこか不器用でクセのある登場人物たちが
明るく前向きに生きてる様子がいいです。

私の見つけた小さな奇跡は、
そば汁の中のネギのハート。

こんなところにも幸せがあるよ。
ふんわり、ほのぼの。