小さな悩みを大切にする

竹内まりやの「幸せのものさし」
の歌詞の一部

「どんな道を選んだとしても
 悩みの数同じだけついてくる
 私が決める私のプライオリティ
 何を取って何を諦めるの」

どの道を進んだらいいのか
悩むときありますよね。
でもこれまでの経験から、
どんなに後悔のない選択をしても
悩みがなくなることなんてない。
どんな道を選んだとしても
悩みは必ずついてくる。
ホントそのとおり。

人間が生きている限り、
ずっと悩みはつきまとうもの。
悩みがゼロにできないからこそ、
その悩みはできるだけ小さく
したいものですね。

悩みって大切です。
切り離しては生きていけない。
大きな悩みは生死に
かかわってきます。
大きな悩みは回避するためにも、
小さな悩みを大切にしましょう。

JAF Mateのコラム
「幸せって何だろう」
を読むのが好きなのですが、
気になるエッセイがありました。
何月号の誰が書いたのか
忘れてしまいましたが、
要約すると、
「あえて小さな問題にかかわることで
大きな絶望を回避。
少しでもラッキーと思えることを
大切にして、
希望を小刻みにすること。
それがどん底の中、
希望をつないで生きるための算段。」

小さな奇跡や幸せは
周りにもいっぱいあります。

小さな悩みを大切に温めて、
大きな悩みの入る余地を
なくしましょう。
そうして、小さな奇跡や幸せを
拾い集めながら暮らす。

人の幸せってそういうものなのかも。

ルーティンのなかに自由はある

「最下鈍の者も
 十二年を経れば必ず一験を得ん」
天台宗開祖 最澄の言葉。

どんなに愚かで才能のない人間であっても、
一つのことを12年続けていれば、
必ず一つは秀でるものを掴むことができる。

これは最澄自身が比叡山で修行したときの
経験からでた言葉だそうです。

お寺での修行は、
朝の勤行、掃除などの作務、
毎日、同じことの繰り返し。
同じことを同じように繰り返す
規則正しい生活。

お釈迦さまも、
「同じことを同じように繰り返していると、
悟る可能性がある」
と言っているようです。

生活の喧騒から離れた
山のお寺にこもり、
厳しい規則の中、
悟りを目指して
自分を律しながら暮らしていく。
そうするといつのまにか心が平安になり、
心を穏やかに保つことができるようになる。
心にさざ波がたたなくなる。

「悟り」ってなんでしょう。

私みたいな凡人には
正直わかりません。
でも、以前、お寺の坐禅会に
参加していたころ、
お寺のご住職が言っていた言葉が
印象的でした。

「厳しい規則でがんじがらめの生活。
 でも、続けていると、
 その中に無限大の自由があるのが
 分かってくる・・・」

深いですね。
なんとなくですが
分かるような気がしました。

考えてみれば、
この地球上のものすべてが
同じことの繰り返し。
朝は東から陽が昇り、
夕方には西に沈む。
水は高いところから
低いとところへ流れる。
春夏秋冬があり、
季節も同じサイクルでまわる。
この世界自体は
ルーティンによって成り立っています。

でも、ルーティンの中には
無限大の自由があります。
考え方、感じ方は自由。
ルーティンの中でも、
自由や楽しみを掴み取ることができます。

悪いことや嫌なことが
起こらないのではなく、
何がおきてもいい側面を見つけられる。
自分はツイてる、幸せだと思える。

ルーティンの中には自由があるんです。

ルーティンで生活をまわす

「生活をルーティンでまわす」

いろいろ試して、自分にベスト
だと思うやり方が見つかったら、
生活のいろんなことを
ルーティンでまわしてしまうのも手です。
理想的なルーティンを見つけられれば
こっちのもの。

理想的なルーティンとは、
自分にとって心地いいもの、
自分が自然体でいられるもの。

生活の大部分をルーティンで
まわしてしまえば、
あとは毎日何も考えなくても
自分にベストの規則正しい
安定した生活が続いていきます。

思い悩む必要がなくなり、
時間の節約にもなります。
必要な物も決まってくるので、
お金の節約にもなります。
なにより、気持ちや心が安定し、
今やりたいことに思考を集中できます。
余計な気を遣わないので、
自然や季節の移ろいも楽しめます。

ただし、臨機応変に生きたい、
直観的に生きたい、という人には
向かないかもしれませんけど。

ルーティンが私を救う

何かものすごい
ショックなことがあったとき、
立ち直れないような
不幸に遭ってしまったとき、
そんなときは、
何も考えることができません。

まずは無理に立ち直ろうとせず
十分に落ち込んで、
少し時間が経って落ち着いてきたら、
以前と同じ生活にだんだん戻していく。
何も考えず、
淡々と目先の生活をこなしていく。
そんなルーティンをこなすことによって
時間が経過するのを待つ。
そして 気がつくと、
いつのまにか時間が
傷ついた心を癒してくれている。

そういうことってありませんか。
それはきっと、
立ち直るためのひとつの方法。

生きてるのがしんどい。
がんばらなきゃいけないと思うだけで、
息が詰まったり
絶望してしまうようなとき。
そんなときも、
毎日のルーティンを繰り返すだけでいい。
そんなときは、
毎日の生活を続けていくことが、
がんばって生きてるっていうこと。

ルーティンていうと、
スポーツ選手がおまじないのように
毎回必ずやる ゲン担ぎが有名ですよね。

でも実は、誰にでも
日常のきまりや順序はあって、
それとは気づかずに
毎日それを繰り返しています。

それが生活の「ルーティン」。
それが普通にできていれば、
心が安定に保たれるものです。

「ルーティンの中に心の安定がある」

ルーティンの中の小さな楽しみに
気づけたら、それはもう復活の兆し。
いつものルーティンは
きっとあなたを救ってくれます。

なんとなく幸せ

なんだか最近
なんとなく幸せな感じがします。
なんとかなる・・
きっとこの先もどうにかなる・・

なんの根拠もありませんが。

なぜか不思議。
ボーっとしているときに、
ふっと頭をよぎるのは、
なんとなく幸せなこの感じ。

いったい私はいつから
こんな楽天的になれたのか。
どちらかというと
後ろ向きで悲観的な性格なのに。

で、そうなれた原因を
思い起こしてみたんですが、
あるとしたら、これしかないかなと。

それは、言霊(ことだま)。
つまりは、
ポジティブ言葉による自己暗示。

始めてからもう10年以上になります。
毎日いろんなことに対して、
「ありがとう。ありがとう。大好き。」
を声に出して繰り返し言っています。
もちろん今でも。
誰にも聞かれないように。
ひとり言のように。

なんで生まれてきたんだろ・・
なんにもいいことがない・・
そんな悲観的な私が、
いつのまにか
ふんわりとした楽天的に。

なんとなく幸せ、
と感じることの他にも、
実感していることがあります。

嫌なことや不幸なことがあっても、
その中から何かしらいいことを見つけて、
結局、よかったこととして
捉えられるようになりました。
探しているわけではないのに
自然にそう考えられる。

ホント不思議です。
たぶん人間の心理はそんなもの。
繰り返して唱える言葉が
結局自分自身への暗示になって
いつのまにか少しずつ変わっていく。
そしていつか
自分が変わったことを強く実感する。

人って変われるんですね。
人間の気持ちってホント不思議です。

PS:もちろん今でも暗くなることは
あります。もともとは後ろ向きの
性格ですから根本は治らない(笑)。