パリで変貌したサブリナ

映画「サブリナ」リメイク版から。

 パリで自分を見つけた。
 毎日カフェで お茶を飲んで、
 日記をつけて、
 8ヵ月、いやそれ以上かも。
 ある日長い散歩をして
 それに意味が生まれた。
 ・・・孤独であることに
 恥じることはことはないわ。

サブリナはお屋敷の次男を忘れるため
パリへ渡って、
ファッション誌の編集に携わります。
やがてサブリナは、
見違えるように洗練され、
美しく変貌していくことになります。
パリで生活をはじめ、
変貌のきっかけになった言葉。

なんだかいいと思って
書き残してありました。

毎日ゆっくり自分を見つめて、
自信を取り戻せばいい。

静かな力強さがいいですね。

映画「あん」 ~この世を見るために聞くために

映画「あん」をDVDで見ました。

ハンセン病(らい病)だった徳江の言葉
「私たちは、この世を見るために、
聞くために、生れてきた。
この世はただそれだけを望んでいた。
・・・だとすれば、何かになれなくても、
私たちには生きる意味があるのよ。」

本来は、ハンセン病に対する
過去の悲劇を表現した言葉なのだと思います。
でもごめんなさい。
それは少し横におかせてください。

この言葉を聞いて、
ああ、ただ生きてるだけでいいんだ、
となんだかホッとするような感じを
受けたのは、私だけでしょうか。

この世界はすばらしい。
その世界を見るために、聞くためだけに、
生れてきた。
この世界を見ること、聞くこと、
それが十分生きる意味になる・・・
すてきな言葉だと思いました。

「人の役に立つことが、生きる意味
なんだろうか」との問いから、
この作品が生まれたといいます。

ちょっぴり悲しいけど、
ほっこりするいい作品でした。

<あらすじ>
千太郎(永瀬正敏)は、どら焼き屋の雇われ店長として単調な日々をこなしていた。そこで働くことを懇願する手の不自由な老女の徳江(樹木希林)に、どらやきの粒あん作りを任せることに。徳江の作った粒あんはあまりに美味しく、店は繁盛。しかし、徳江がかつてハンセン病であったとの噂を聞きつけ、客足はピタリと途絶え、それを察した徳江は店を辞めた。千太郎はハンセン病感染者を隔離する施設に徳江を訪ねる。 ・・・

孤独だから寂しいのではない、寂しいって複雑

だいぶ昔のOZという雑誌に、
寂しさについて、
次のようなことが書かれていました。

寂しいって、
自分が孤立していたり、
孤独なときに感じること。

でも、寂しい気持ちは、
ひとりでいるときだけでなく
人といるときにも感じるもの。

寂しい気持ちは
ひとりだからというより、
やるべきことがみつからない、
あるいは、やるべきことができていない
というときに感じることが多いようです。
・・・

確かにそのとおりかも、と思いました。
ひとりでも生活が充実していれば、
寂しさを感じるヒマなんて
ないのかもしれません。

ふたりだから、思い通りに進まない
こともあるかもしれません。

私のことで考えてみても、
孤独なのはいつものこと。
人といると
いつのまにか気を遣って疲れるので、
人とはなるべく
距離を置くようにしています。
私は孤独が嫌いではありません。
それでも
寂しいと感じるときがあります。

でも、不思議なことに、
寂しいって感じるときも、
人に近づきたくなるわけではありません。
人と会えば、
確かにその場の寂しさは
まぎれるのでしょうが。

私の場合、寂しいと感じるときは、
何かやりたいと思っても
それが見つからないとき、
やらなければいけないことがあるのに
それができていないとき、など。
とにかく、
自分の思いどおりにいっていないとき
が多い気がします。

心に隙間があると、
そこに寂しさが入り込んでくる。

大勢の中にいてもひとり。
ふたりでいても寂しい。

ヒトの気持ちは複雑ですね。

探しものはすぐそこにある

「探すのはやめなさい
それはすぐそこにある」

これも昔のメモから。
多分本屋さんで見た言葉。
言葉だけが残っているので、
私の解釈。

私はこんなはずじゃない。
私には何かあるはずだ。
これではない、あれでもない。
他にきっとあるはずだ・・・

探して、探して、
いつも何かを探している。
遠くを、遠くを、探し続ける。
新しい何かを、探し続ける。
本当はすぐ近くにあるのに、
気が付けない。
もう手の中にあるかもしれないのに
わからない。

探している間は、何も始まらない。
満足することもない。

本当に好きなことをちゃんと見て
本当にやりたいことを見つけましょう。
それはたいがい、すぐ近くにあります。
気が付いてないだけ。
いや、気が付いているのに、
向き合いたくないだけなのかも。

決める覚悟、向き合う覚悟

「探すな 決めろ 必要なのは覚悟だ」

高橋歩さんの「愛しあおう。旅に出よう。」
からの言葉。

ホントそうだなって、思いました。
この言葉から、私なりに思ったこと。

選択肢が多すぎるから、
自分の中心が決まってないから、
選べないってこともありますが、
真剣に向き合うのって、
辛いんですよね。怖いのかも。
可能性がしぼられちゃうし。

向き合いたくないから、
本当はもう出会っているかもしれないのに
まだまだ探し続けちゃう。
私はこんなはずじゃない・・・
私にはもっと他の道があるはずだ・・・

探し続けてる方が、
向き合うより楽なのかも。
私にとってはそうでした。
なかなか覚悟は持てません。

ずっと探し続けてる人は、
おそらく探しものにもう出会ってる。
しかもそれは意外に近くにあったりする。

立ち止まり、
正面から向き合い、
これだって決めて、
それに向かって進んでみる。

決めないと何も始まりません。
そのためには覚悟しないと。