空腹のラーメン

「空腹がなければ、
 空腹のときに食べるラーメンが
 どんなにおいしいかは実感できない。
 幸福は本当はすぐそばにあって、
 気づいてくれるのを待っている。」

いつ何から書き写したのか
覚えていませんが、
何かの本から書き写したメモです。

幸せってこういうものなんだなぁ
って実感できる言葉です。

洗いたてのタオル、
お日さまに干したホカホカのふとん、
淹れたての珈琲の香り・・・などなど、
「幸せ」って、
身近なところにいっぱいあります。

それに気づけるかどうかが、
すべてなのかもしれないですね。

人生をバラ色メガネをかけてみる

「バラ色の人生」って、
明るい要素に満ちている未来や、
幸福や希望いっぱいの人生のこと、
いいますよね。

「人生をバラ色メガネをかけてみる」

いい言葉ですよね。
昔のノートにメモってありました。
私に必要な言葉だったからでしょうか。
いろいろな映画・ドラマや歌に
使われている言葉です。

実際にはなんということもない人生を、
バラ色の色メガネを
かけてみることにより、
目の前に映っているすべてを
バラ色に見えさせるという
前向き志向の考え方。

錯覚でも実体がなくても、
そんなのどうでもいい。

バラ色とは何色か・・・
それは自分にとっての幸せ色。

人生をバラ色のメガネ越しに見たら、
見える人生もきっとバラ色。

実際にはなんの色もついていない人生。
自分で好きな色のメガネをしましょう。
どのメガネをつけるかは自分次第。

「アンパンマンのマーチ」 ~何をしたらうれしいか

「アンパンマンのマーチ」から一部抜粋
作詞:やなせたかし

なんのために生まれて
なにをして生きるのか
こたえられないなんて
そんなのはいやだ!

なにが君のしあわせ
なにをしてよろこぶ
わからないまま終わる
そんなのはいやだ!

すごくないですか?この歌詞。
子供たちのための歌詞とは思えません。

特に2番の歌詞には考えさせられました。
何をしたら私は楽しいのか。
何をしたら私はうれしいのか。
何が私の幸せになるのか。
確かに、それが分からないまま
人生終わるなんて、
そんなのもったいなさすぎ。

同じ楽しむなら、
好きなことをしっかり認識して
楽しみたい。
同じ喜ぶなら、
自分が今喜んでいることを
しっかり自覚したい。

自分のうれしいことが
自分でわからないなんて
確かにそんなの嫌です。

それから私は、
自分が好きなこと、楽しいことなどを
しっかり意識して考え、
書き出すようになりました。

分かって、意識してそれをやって、
楽しかったりうれしかったりすると、
楽しさ、うれしさが
さらに大きくなるような気がするのは
気のせいでしょうか。

陶淵明 ~今朝の楽しみを極めよ

陶淵明の詩から

且(か)つは
今朝(こんちょう)の楽しみを極めよ
明日(みょうじつ)は求むる所に非ず

 今日という日のこの楽しみを
 極めつくすのだ
 明日という日をあてにはすまい

当たり前ですが、大切なこと。

少し前のことですが、
先のことを心配しすぎて、
今を過ごすのがおろそかになり、
息が詰まってしまったことがありました。

明日はともかく、今が生きられない
まず今が超えられないければ先もない。

とっても重要なことですが、
いつのまにか それを忘れていました。

お金は貯めてるだけではダメ。
なんのためのお金か。
今を超えるために お金をつかおう。
遊ぶべきとには しっかり遊ぼう。
ささやかことでもいい、
毎日の楽しみを作ろう。

お金は足りなくなったら
また働けばいいだけのこと。
縛られてしまったら、本末転倒。
不自由極まりない。

最も大切なのは今。
忘れないように心掛けています。

芥川龍之介 ~日常の瑣事を愛さなければならない

芥川龍之介のことば

「人生を幸福にするためには、
 日常の瑣事(さじ)を
 愛さなければならぬ。」

瑣事とは、些細な日常のこと。

ホントにそうですよね。
人生において、大きな幸せなんて
そうそうあるものではありません。

芥川龍之介のことばであるがゆえに、
なおさら意味深く感じますが、
実はこのことば、そのあとには、
もっともっと意味深な文章が続き、
全体の意味するところは、
もっともっと奥深くなっています。

「瑣事を愛するものは
 瑣事の為に苦しまなければならぬ。」
何事にも相反する側面があり、
その側面にも積極的に
関わりあっていかなければならない、
ということでしょうか。

でも、それは置いておいて、
私には、冒頭のことばだけで十分。
幸福とはどういものか。
人生とはどういうものか。
考えさせられます。